事実は小説よりも奇なり

事実は小説よりも奇なり。

Uni’s blog 備忘録

精神的なもの

今朝母親から届いたメール。
大丈夫?何か辛いことがあった?悲しいの?

突然どうした!?って思ったけど、私が血尿だの何だの言ってて、そのときは精神的なものだろうね〜で済まされていたのだけれど。

人によってその精神的なものっていう言葉の重みが違うと思う。

精神世界を重んじる人にとってみれば、精神的なものってかなり上位にある。
筋肉脳な、気合いでいけるぜっっタイプの人にとってみれば、精神的なものなんて最下層に位置するものだろう。

私の母親は、現代社会を生きているのが不思議なくらい、仙人並みに精神世界の住人思考の持ち主なので、彼女が言う精神的なものだろうねというのはかなりの慰めの言葉、心配の言葉なのだ。

私からすれば、何でもかんでも精神的なもので済ませやがって!と激おこぷんぷん丸(古い)モードだったけど、冷静に考えれば、本当大丈夫?っていう意味を持った言葉だったのであろう。

小さい頃から、メンタル不調のとき、辛いことがあったとき、私はその事実をきちんと伝えることが出来なくて、なんかねお腹痛いみたい。とか、頭が痛くなるみたいとか、とにかく体の不調を訴える子だった。

本当は、辛いの!!悲しいの!!泣きたいの!!って声を大にして言いたいんだけど、今でもぐちぐちと普段なら、頭いたーいとかで済ませちゃう程度のことを、猛烈アピールする。

だからか?母親もちょっと日をあけて気づいたのだろう。
あ、体が。。って言ってる時は、この子心が弱ってるんだ。それもかなり。
と、思ってメールしてきたみたい。

で、ぁあ人によって精神的なものかなぁに含む意味合いってすごく差があって、恐らく時にその精神的なものだろうねという言葉には、もっと頑張れよという意味合いもあるし、休んだほうがいいよという労りの言葉だったりするんだなぁと。

なので、なに!?またしても精神的なもの、で済ませやがったな!!!!
なんて、勝手に怒り心頭のち、意気消沈からの自己否定に入るのではなくて、発言者の思想とか環境を考慮してその上でどういう意味を持つのか、まで心を馳せようと思いました。

と言ってもね、どっかきついときにそんな心を馳せる余裕ないけどね。

adiós