事実は小説よりも奇なり

事実は小説よりも奇なり。

Uni’s blog 備忘録

病院DAY

もはやこいつ転移じゃない??って思われてそうなくらい絶賛通院中。

先生曰く、もって10日らしい。2週間はまだ無理そうだね〜(鼻で笑う)

尿酸値高いかも事件とか。
咳止まらなすぎてそろそろきついとか。
みぞおち痛いとか。
親とケンカしました!ケンカにまで至りました!って話とか。

今までは母親の記憶が改ざんされてるんだと思ってたけど、
あそこまで自信たっぷりと、私は何もしていません!!みたいに言い切られちゃうと、むしろ改ざんされてるのは私の記憶?私の思い違いか??あれ?私が悪いの〜??って思ってきてて。とか。

え、でも自覚ないのかもよ?自覚ないなら記憶に残らなじゃんって。確かに、そこまで気にして話してないのかな。

治療に専念するためにも距離保って!と。がんばる。
しかし、最後の砦として我が子は母のとこにお願いってしてこようとか、屋根があれば再起できるから最悪転がり込んでしまえとか。

結局親の敷いた透明のレールの上を何の疑問も持たずに途中まで歩んできたので、何かの決定をするときに母親の意見を求めるようになっていた。
そして、大抵相談したところで答えは決まってるなんて言うけれど母親の意見にはかなり左右される。好きなようにしたらいいと思うけど、〜の方がいいかもね。という答えでも、あ、〜しなくては。となるのだ。

このまま何も決められない大人になるのかななんて思いつつ、私も母親になってしまった。

なので、うちの子がママ大好き〜!と言いながらも私に辛辣な攻撃をしてきたり、理不尽極まりない失礼なことを言ってきたり、ワガママ、暴言をはきまくってくることにたいして、その瞬間は本当に腹がたつし、泣きそうになる。

しかしながら、ちょっと安心することもある。
あ、どうかこのまま人の意見に(感化はいいけど)左右されすぎることなく、

自分で歩んでいける人になったらいいなぁと。
そっちの方が後悔しないと思うよ。

私にとって母親って複雑な立ち位置で。
憧れてるし尊敬もしてる。
お互いを良き理解者だと思っているところもある。
でも生きている時空?世界、次元が違いすぎる。
だから理解したいけど出来ない部分がある。
そこで歪みが生じる。

きつい。
昔の私に告ぐ。
透明のレールに気づいていたのならぶっ壊せばよかったんだより

adiós