事実は小説よりも奇なり

事実は小説よりも奇なり。

Uni’s blog 備忘録

臨床心理士泣かせの私後編

日程が組まれ、また同じことを話すのか面倒だ。けど、その間はとりあえず母子同室という拷問からも逃れられるし、おめでとうっていうメールからも解放されるし、なにより6人部屋の一個ランクが高い部屋で謎にパーテーションがあって、でも確実に他の人たちの本当に祝福されてる感じの面会を見聞きしなくてよかった。

頼れる人はいない。心を開ける人はいない。生活環境やらなんやらを話し、なぜか私の生い立ちも話し、とりあえず別に2度と会う人じゃないしと一切合切お話しした。
ら、2時間くらい経って、カウンセラーとしてはその2時間で話を聞き、なんとなくまとめる。ってまでをしたかったらしいけど、時間がまたしても足りなかったようだ。

そして、頭が混乱してるっぽかった。

私のどうでもいい話を一通り聴き終わり。
大変申し訳ないのですが。から始まった。
私の力量不足で、今すぐに何かをお伝えすることができません。
1日お時間いただけないでしょうか。
明日までに私なりの考えをまとめてきます。

と。
→そこで泣かれた。

なんかすみません。。と私はとりあえず申し訳なさそうに大丈夫です。ちょっと変わった生い立ちだし、若干悲劇のヒロイン的に話しちゃうとこもあるので、大丈夫です。明日で全然いいんで無理しないでくださいね、となぜだか労いの言葉を添えてカウンセリングルームを後にした。

そこで気づくわけ。
私が当たり前だと思っていた生活環境は実は当たり前じゃなくてちょっとおかしいんじゃないか?って。
時すでに遅し感もあったけど。

それに気付けたことは良かったのか?わるかったのか?
もしかしたらそれを当たり前だと思いながら生きた方が楽だったかもしれない。な。と。

仕方ない。で済まされたかもしれない。

仕方ない人生を受け入れて、まぁ仕方なく生きられたかもしれなぁと。

そんなわけで20何年かの当たり前だと勘違いしてた日々をまた再構築してるわけだけど。

結構無理なんじゃないか。と、思ってる昨今です。

さ、病院行ってこよう。

adiós!