事実は小説よりも奇なり

事実は小説よりも奇なり。

Uni’s blog 備忘録

4.5.6月奔走編

4月。正直嫌い、

特に東京に来てから四月嫌いは勢いを増すばかり。

少しの不安と、それを簡単にかき消してしまう期待、楽しみ、ドキドキで世の中は溢れかえっている。別れの季節なんて旅立つものにとってはきっと一瞬なんだ。残されたものにだけ響く言葉だと思う。

私は今年の4月、めっぽう弱っていた。

よくわからないけれどこの世の大半のことは無理。で形容できた。

そしてなぜか、元旦那氏の元を訪ねた。心臓壊れそうだわと思いながら彼のご家族に産後初めて会った。4年ぶりだった。

皆がわが子を笑顔で取り囲む姿、私はこんな月日を家族からも子供からも取り上げてしまってたんだなと申し訳ない気持ちになった。

居心地が良くて、ずっといたかった。

離婚したことというか私が出ていったことなんて魔法で消えてしまえばいいと思った。

2泊の滞在なんて一瞬で私はまた新幹線でわが子と2時間半をかけて帰りたくもない大都会に帰った。

 

sweetな話でまとめるならば、一度好きになったものは忘れられず、私は元旦那氏にもっと会いたかった。

計算高い女だと言われることを覚悟すれば、嫁という立場も振る舞い一つでそんなに悪いものではなかった。

何より私が与えてあげられないそこはかとない愛情を例え一時的といえどもみんなはわが子に注いでくれた。嬉しかった。

 

なので、その次の週、GWの頭に私はまた旦那氏の元に行った。往復の交通費とか新幹線での苦行のような時間には目をつぶることにした。

また来たの?って笑いながら迎えてくれて、やっぱり嬉しかった。

 

私の脳内スイッチは完全に元旦那氏の近くに住むモードに切り替えっていた。そうなると私は人の話を聞かない。

 

けれど、聞かなければならない話も耳に入ってくる。

6月。母親の誕生日が、もうすぐだけどプレゼントどうしよう。なんて百貨店をふらふらしてるところに悲報。

緊急事態、母栄養失調と脱水症状です。

判断能力0云々。

私が電話にも出ず、SMSも無視してるから、Facebookメッセンジャーでがんがん送られてくるの。40件とか。

体重33キロ、娘として放っておくのですか?とかなんとか。ローンがいくらあったとか言われ私は落ち込んでたわけで。

 

で、結局大きな病院を受診する日は心配で朝五時起きで子供を叩き起し新幹線で5.5時間の旅。たかだか4日の滞在で実家を片付ける、廃車の手続きを完了する、その他事務作業及び新たな物件探し。

を頼まれ、話の通じてるのか通じていないのかよくわからないけれど、やっぱり母は母で積もる話をしたいけれど、出来ないっていう。

 

あげくにわが子は二人のおうちに帰ろう。と道端で大泣き。そりゃ炎天下の中私に手を引っ張られ歩かされたら涙も出るよね。

私は大好きだった川の橋の真ん中で号泣。

親戚中にもう帰るの?

何しに来たの?

東京引き払って帰ってきなさい、

と罵声を浴びせかけながらやっと東京に帰ってきたのもつかの間。

不調が私とわが子を襲う。

まず私熱が出る。歯医者で打った麻酔がいつまでも続く。わが子高熱が続く。結局溶連菌で、登園禁止。

やっと今日から登園。

 

怒涛の3ヶ月で私が言われて悲しかったことは、

アルデンテのパスタ食べたいな→お母さんのうちは無理でしょ。のびたパスタだよ。

親の面倒見るのが当たり前でしょ、介護が早まったと思いなさい。

早まりすぎでしょ。と思った。

母の入院拒否。

入院拒否する気持ちがわからない。

子供がそれを望むなら、入院するのが親の出来る精一杯ではないか?

→確かに、OKの一言で勝手にさっさと入院してくれたら事も大事にはならないし、すんなり進んだはずだけど、ここにも親子っていう縛りが出てくるのかなと。

人は1人である前に、親だったり子だったりするのかなって。

家族を持った時点で人権は剥奪されるのかな。と思いました。

 

そんな奔走した3ヶ月でした。