事実は小説よりも奇なり

事実は小説よりも奇なり。

Uni’s blog 備忘録

死にたいとか普通は思わないらしい

中学高校と仲良かった友達に、

ねぇ、死にたいとかないと?って聞いたら、

言ったりするけど本気で思うことはないなーって。

私の中で勝手にメンヘラ気質の子だと認定してたから、え、まじで?って驚いた。

さらには、普通は死にたいなんてそんなに思わないよ。とのこと。

私1日の半分は死にたいって思ってるけどwって伝えたら、めっちゃ心配された。

 

いつから死にたいとか思うようになったのか遡ってみるんだけど、ちょっといじめられてた頃は時間が解決してくれる。環境が変わるのを待つのみだと思って騒がず生活してた。

いじめっ子(目立つ?)グループに身を置いたときは、それはそれで居心地が悪くってグループ内のマウンティングみたいなものに疲弊してて、仲良しを装った軽いグループ内のいじめだよなーって思ってた。

 

そしたら段々特定のグループに所属することも嫌になって、学生時代には天涯孤独の人と結婚して2人だけの家族を作ることに妙なあこがれを抱いてた。でも、自分が母子家庭で育ったおかげか、どうしても子供と私っていうイメージは抱けても、パパ、ママ、子供っていうイメージはわかなかった。

 

そんなこんなで、初めて就職した会社は女性社員がほとんどで、結婚してる上司も少なかったけど、あの人生き遅れたね、なんてことはあまり感じなかった。24歳になっても特に結婚願望は強くなかったし、私は元々1人だと頑張れるけど、誰かの支えがあると途端に自堕落になる性格だということも承知してたので、結婚後に自分が強くいれるか、っていうことが不安だった。

 

結局、退職を期に遠距離恋愛から同棲して結婚も出産も果たしたけれど、なにが間違えだったのか、とこのごろ考える。

結婚した当初は皆に顔で選んだやろ!?って言われるくらい、仕事以外は何もしないような人で、仕事した恩恵が私にあるわけではなく、同棲の延長って感じだった。

時に邪魔だとか、なんで私が2人分の洗濯?とかムカつく事は多々あったけど、今思えばそんなことは離婚の原因ではない。

ちょっと前まで結婚したのがそもそもの間違えだったと思ってたけれど、私が家を飛び出したこと、離婚届にハンコおせと半ば強制的に押させたことそのあたりが失敗だったと思う。

 

結局その後、元旦那氏ほど好きな人も現れないし、結婚に関していえば、特に大きなプレッシャーもなく双方同意で出来た相手は彼ぐらいだった。

勝手に家を買ったことにブチ切れて、私の精神力ではそれを受け止めることができず、なぜだか超フェミ団体に電話して相談をして、その時の感情とそんな人と一緒にいても幸せになれないマインドコントロールと、後を考えずに行動に移してしまった私が馬鹿だった。

こういう事は、身内なりなんなりに相談するべきだったとも思った。

他人と生活するんだから、将来観や価値観の少々の違いは当たり前だとか、そこを話し合いながら妥協点を見出してうまくやっていくんだとか、the昔ながらの子供がいるんだからという話しも出ただろう。

何にせよ、その時の感情だけで、少数の意見だけを聞いて、突発的に行動するというのは良くないなと心底感じている。

 

いみじくも孤立無援の子育てには、早々に頭がおかしくなりそうなくらいテンパっていて、何があってて何が間違ってるかもわからない中で育児してるから、自分のことより子供のことが心配になってきたり。

 

とにかく心配要素が多すぎて吐きそう。