事実は小説よりも奇なり

事実は小説よりも奇なり。

Uni’s blog 備忘録

親の生い立ちを書き終えて

今年の6月、地元の親戚たちから鳴り止まない電話。メールの猛襲。

美魔女、年齢不詳だった母親が痩せこけて、思考もあやふやで、まるで老婆のようだと。

 

元々食生活も不規則だし、私の知る母はタバコとコーヒーをこよなく愛す、芸術家だった。

そのせいか体型も小柄でスリム。

少し痩せこけたくらいじゃ私も大して驚かなかった。

 

静かなスナフキンタイプの母親とは対照的に、1を100にして話が出来るような親戚たちがたいそう大げさに発言しているのだろうくらいに思っていたけれど、病院につれていったときには町の内科では診察出来ないと総合病院の精神科に回された。

まぁ色々あって、それから2週間後に閉鎖病棟に入院し、医療保険の関係もあって2ヶ月で退院し、今は死にたい死にたいと言いながら、訪問看護や配食サービスを受けて何とか小さなアパートでぼんやりと生きているらしい。

 

私の電話にも出ないのでなす術もあまりないのだが、先日往診の家族の同意書を書くという機会があった。

出生体重や、幼い頃から今に至るまでの生い立ち、性格など細かく記載しなければならないのだが、母親の幼い頃なんて、母から伝え聞いたことしかわからないし、社会人以降のことは私の記憶がメインになる。

 

こんな人だった、あんな人だった、そういえばあんなことで激怒したり落ち込んだりする人だった。交友関係?そういえばあんな彼氏がいたような。。とかそれはそれは自分が初めて精神科を訪れたときの何倍も時間を割いて書いた。

 

途中からは母の生い立ちというよりは、自分の生い立ちを振り返るような感覚で書いていた。

 

正直、今までは無理やり気にしないことにしていたようなことを、臭いものに蓋をしていたところを無理やりあけて、現実と対峙して書く必要があった。

 

記憶は無意識のうちにねじ曲げられる。

そういうことも知っていたから、私の書いた母の生い立ちが正しいかはわからない。

ただ書き終えたあとの疲労感は半端なかった。

 

結局私の母は、拒食症と適応障害という診断を下されているけれど、私が中学生くらいまでは過食嘔吐だったし、適応障害に至っては、別に今に始まったことじゃなくてそういう性格、性質だと思って接していた。

 

何だかうちの母はほかの母親とは違うらしいことは昔から知っていた。

 

私が過食嘔吐になったことを母のせいだとは思わないし、むしろそうなることを母はとても恐れていたので中学生の頃に鏡の中の少女という摂食障害の本を渡された。

人の容姿のことを悪く言ってはいけないと散々言われていた。

 

ただ、過食嘔吐で病院に通う私に、

「私はアル中も過食嘔吐も自力で治した!」と豪語していた母だったが、ふとした拍子にひょっこり再発するんだなと何だか怖くなった。

 

親戚に、私はしっかり子育てするようにと言われた。親子何代にも渡って精神病だの摂食障害だのなったら呆れてものも言えない。と。

今からは教育が全てだと。

でも、1つ言えることはその発言をした親戚は、今回のことで私に地元に戻って責任をもって母の面倒を見ろと言った。

それからしばらくして、共依存という言葉を知ったと言ってきた。

共依存を知らなかったのか?と鼻で笑いたかったけど、心で笑っただけにしておいた。

きっと頭に関してだけいえば、その親戚よりも母や私の方がずっとアタマはいいと思っている。

役に立ってないけど。

 

私の子供に関しては、私が育てて大丈夫なのかなと一抹の不安をいつも抱えている。

 

もしうちの子までおかしくなったら、それをネタに本でも出版すれば?と言われた。

 

いまさら言うまでもないけれど大嫌いになったよね。親戚。

 

というわけで、親の生い立ち振り返り、自分の塞いでいた傷を無理やりほじくりかえして、何だかどっと疲れてしまいました。