事実は小説よりも奇なり

事実は小説よりも奇なり。

Uni’s blog 備忘録

病院DAY

眠い。
夜中の3時に就寝はやっぱりよくない。それでも目覚まし鳴る前に起きるから生活のリズムってすごいな。
今日は昨日の記事そのままを伝えました。

お昼ご飯一緒に食べる人作れない?って言われて、朝昼食べなかったらふらふらするでしょう?って。昨日3キロくらいある書類の束落として大変だった。

というか、そもそもお昼ご飯を食べて美味しかったとは思えるだろうけど、その後のお腹の不快感とか、体からの放熱。栄養吸収してしまっている感じに耐えられない。と伝えると、新しい服、靴って最初はごわつくでしょ?それでも着て、履いて少し馴染ませていく過程が必要でしょう?って。
だから、最初の少しの不具合を乗り越えよう。そこは頑張りどころだよって。

そして完全に急に過食嘔吐を辞めることは無理だから(断言されたw)過食嘔吐で使うお金や時間を他の自分の好きなことに回してみるっていうの考えてみてと。
過食嘔吐を我慢するだけの生活を考えるのではなく、その分を他に回す。他のことで代用する。過食嘔吐の日もあるけど、他のことをして楽しんでいる日もある。という1週間をやってみよう。って。

確かに、私は0か100かの性格だから、過食嘔吐をするかしないかにばかり拘っている。別のことを楽しむなんてことは私の思考回路から消え去っていた。

ちょっと試してみようかなと思った。

母親の電話のことは、遠くに住んでいるからいいけど、近くだったら切り離さなきゃだめだね。過干渉すぎる。と。

私にばかり連絡したりするんじゃなくて、もっと他の人と出かけたりしたら?って言ってみて。だそうですが。
そんなことは30年間一度たりとも言ったことはないし、良い子?というか、私の理想像が確立して一人歩きしてしまっているだろうから、それを崩さずに墓場まで持って行って貰えたらなって思っています。と言った。

私のことで思い悩んでほしくないし、干渉もしてほしくないし、関心も持ってくれなくていい。

そう、今私が必要なのはお金だ。
というか、親の愛は幼い頃は行動や感情で表現されるのだろうけれど、大人になってしまえば、親の愛はお金や支援でしか表現できない気がする。

私が歪んでいるのか?

ま、母親の電話は適当にかわして、と言われましたのでそうします。

早く我が子が電話応対できるようになればいいのにな。。