事実は小説よりも奇なり

事実は小説よりも奇なり。

Uni’s blog 備忘録

久々に会話

昨日母親からの恒例の荷物が届き、今朝やっとこさそれを開封。家が食糧難だったけれどお煎餅が入っていたおかげで我が子の空腹回避。

約2ヶ月ぶり?いや、3ヶ月ぶり?くらいに電話で話をした。

うちの母は芸術家なので、躁鬱気味な性格も芸術家としてはかなりいい意味でパンチ効かせているので、本当に才能を努力で伸ばして開花させている人だ。
母としてはさておき、女としては美魔女のランクに入るくらい年の割に綺麗だ。そして、孤高である。タイプ的には中森明菜とか桃井かおりとか。中山美穂かな。精神論で話をぶつけてくるので理屈っぽい私とは意見が合わないことも多々あるけれど、芸術家だからと思えば生み出す作品は素晴らしいし、ある程度許容範囲。
母と娘としては、かなり歪んでいる。私が真正面からぶつかっていかないから、それが普通になってしまっただけで、もし私が絵に描いたような母子家庭で育った非行不良少女みたいに振舞っていたら、もしかしたら今はあの頃は本当ひどかったよねーとそんな笑い話にできるんだろうなと。

つまり喧嘩両成敗的な感じで、母と私のどちらか一方が悪いわけではなく、お互いそのときベストだと思った道を進んだ結果、ちょっと歪んだ立ち位置になっているだけだ。

仕事を始めることにはとても怪訝そうな感じを示していたし、(手塩にかけて育てた我が子がまた社畜になって過労で鬱とかなってほしくない親心?)DNAに組み込まれた芸術的センスを活かしてほしいというのもわからなくはない。何せうちは代々芸術家家系なのだから。

送られてくる服のサイズがMサイズで、実は私はSサイズなんだよな。。ということを言えないままでいることとか、体重は言えないな。。とか、この骨見たら泣くやろなとか思うので服Sサイズにしてくれん?ってのはそのうち伝えたいなと思ってる。

仕事始めたことを言わないって決めてたけどなんだか隠すのもきつくなってきて、仕事してるのって言ってみた。事務だし内勤だし、男性しかいないから安心してねって言ったら、へー、優しくしてもらいなさいね。死なない程度に、頑張りすぎないでいいんだからね。と言われた。

病気のことも珍しくむこうから言ってきて、一生そんな辛い病気に振り回されて生活するって考えたら死にたくならん?って言われて。なるなる。月に何回も思うけど、思ってもどうせ今日も明日も明後日も生きてきてることに気づいたから、どうせ生きてるんだろうからあんまり死ぬこと考えずに、楽しめるときは楽しんで、無理なら無理で寝とこって思うことにした。って言ったら、30代前半でそれ気づいたとかすごいやーん!となぞに褒めてもらえたw

我が子を可愛いとか愛してるとかそんな感情はどこかにおき忘れてきたっぽい。暴言を我が子に吐きすぎてそのうち私が保育園の先生に怒られそうだって言ったら、本当に疲れたときは預けていいって言われた。正直うちの母親に預けるのはだいぶ不安もあるけれど、多々ある公営の機関に頼ったところでお門違いな、まさに三歳児神話と母性神話にまみれた返答しか頂けず、保育園に預けたところでどんどんモンスター化する我が子。

躾を丸投げするつもりは毛頭ないが、私流の躾だと厳しすぎるとか、言い過ぎだとか、あれこれ言われるので、それならいっそのこと過保護で、躾はスパルタなうちの親に預ける方がいいんじゃないかと思ってきた。

といっても、至極面倒くさがりな私が飛行機に乗って、我が子を預けに行くなんて考えただけで、うーわ。面倒くさって感じなので多分行かないけれど。

いつも親と電話するときは何を言われるのかハラハラして、ただただ憂鬱なんだけど、あまりに音信不通にしていると、怒りや悲しみ、憤りといった感情だけがむくむくと湧いてきて、嫌いとかじゃないけれど、むしろそこはかとなく好きなところもあるけれど、最も近づきたくない人に認定してしまう。
なので、たまには意思疎通を図るのも悪くないなと今日は感じた。

今日感じたからといって次回もまた感じるとは限らないけれど。

今日は会話して良かったなと。

思った。

せっかく夜8時に寝たのに12時に起きて、1時間悩んで過食しました。
今から寝ます。おやすみなさいませ。

adiós!