事実は小説よりも奇なり

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Uni’s blog 備忘録

私について。摂食障害編

まだ小学生の頃。

 

鏡の中の少女

鏡の中の少女

 

 

この本を母に読むようにと渡された。

私の母も今思えば摂食障害で、娘の私にも影響するかもしれないと心配していたのかもしれない。

 

中学までは、母の手料理を残すことは何となく悪いことだと感じて、気持ち悪くなるまで食べていたし、たまに遊びに行く祖父母の家で出される食事は全部食べることが暗黙の了解のようになっていた。

案の定私は小学2年頃から健康優良児ごえの体型で、中学2年では150センチ60キロの大台に乗った。

母に頼み込んでジムに入会し、放課後は運動して汗を流した。

結局家では普通に食事をするから体重に変化はなかった。

 

中学3年頃に母が仕事場を自宅と別にしたことで、私は週3ほど一人で食事をすることになった。

あれほど母の手料理は食べなくてはならないと思っていたにも関わらず、私は全ての夕飯を捨てるようになった。

昼食の弁当は毎日捨てていた。

その結果、13キロ程痩せてようやく人並みになった。

その他にも今思えば絶対に効果はなさそうな薬局で売られているダイエットサプリを飲みまくり、雑誌の裏に広告で載っているサプリを頼み、年齢をごまかしてネットで海外の何だかやばそうなサプリも飲んでいた。

 

そんなこんなで、軽い拒食と週末の大過食を繰り返しながらなんとか45〜47キロを維持していた。

 

高校3年、受験の年、私は朝5時に起きて6時前の電車に乗り、七時過ぎから夕方6時まで授業。その後予備校に通い、誘われればマックで勉強という日々を過ごした。家に帰って2時までまた勉強。毎日お菓子がバケツの中にストックされていた。

夜中に部屋にお菓子がある。私は我慢できなかった。

受験が終わる頃51キロ、無事第一希望の大学に合格するも、その後の一人暮らしの準備やら、一人で生活するのにそんなことで大丈夫なの?だのなんだのと言われ続けているうちに、また私のストレスは食べることに向かってしまい、大学入学のときには56キロ。白いスーツを着た自分に今ならやめとけ、と言いたい。

 

仕送りはなく、家賃のみ。ボロアパートだった。すぐに賄い付きのバイトを始めた。賄いはタッパーに入れて持って帰り、翌日のお昼ご飯にした。あとは食べたり食べなかったり。

 

国公立の学食!安くて万歳。

ありがたかった。

 

またするする体重は落ちて47キロくらいになった。

 

ここで、私が摂食障害にどっぷりつかる事件が起こる。

 

久々に仕事で近くに来てるという叔父と食事をすることになった。

美味しいものをたくさん食べて、おしゃれなバーで飲み、そのあと先斗町のかき氷を食べてさよならした。

 

私は電車の中であー、食べ過ぎたな。。とうとうとしていた。

駅に着いた瞬間気持ち悪さに変わり、トイレで戻してしまった。

恐らく久々におなかいっぱい食べたからだと思った

同時にダイエットうまくいってたのに食事の誘いかぁと複雑な気持ちだったから、安堵感もあった。

 

家に帰って体重測ってみると、朝より減ってる!あんなに食べたのに!

 

これが私のやや拒食気味から過食嘔吐に移った瞬間でした。

 

長くなるので続きはまた。