事実は小説よりも奇なり

事実は小説よりも奇なり。

Uni’s blog 備忘録

摂食障害2

私と食べるということ、体重や体型に関する歪んだ感情は幼い頃に培われた物だと思います。

私の両親は3歳のときに離婚しましたが、両家の親戚にはとても愛されて育ちました。
田舎の親戚って、やたら食べさせる。
幼いながらに食べなくてはいけないという義務感が植え付けられました。
母は食が細いかわりに、気持ちが悪くなるまでお酒をつがれていました。
↑田舎あるある。

ここまでは、よく見る風景なのだけど、祖母は看護師をしていたせいか、大量に食べさせる割に、そんなに食べたら成人病(生活習慣病)になる!と言って食べた直後に体重計に乗せられていました。
悪気は無いのだろうけど。。

1度だけお腹いっぱいなのに食べなきゃいけないよりは、一口も食べない方がずっとマシだ。と宵の席で言ったら鬼の形相で怒られました。

中学受験を理由に私は親戚付き合いを避けるようになりました。でもすでに健康優良児越えの肥満児でした。そして容赦無く訪れる思春期。

私が我慢すれば(頑張って食べれば)この場は楽しく過ごせる。
母は頑張ってお酒飲んでるから、私は食べなくては。
また太ったと言われ、病気になると言われガミガミ怒られる。
痩せなきゃ食べなきゃ荒波を立ててはダメだ。。
もうこの負のループ。
承認欲求は高まる。自尊心は低い。
色んなことが妙なタイミングで重なって、摂食脳が培われたのかなと。
私の気質もある。環境要因もある。
摂食脳の引き金は、ダイエットによってひかれ、更には間違ったストレス発散の方法になったのだと思います。

原因は一つではないし、断定することも難しい。

1番の問題は、ストレス発散、現実逃避の方法の一つであったはずの過食嘔吐が、今は生きるために無くてはならない、私の人格、生活を脅かすものになってしまっているということです。

抜け出すなんてことが出来るのか、死ぬまで摂食障害は治らないのか、はたまた摂食障害で死ぬのか。

そんな2択しか考えられないくらい。そう考えてしまうほどには、辛い依存生か高い病気だと思います。