事実は小説よりも奇なり

事実は小説よりも奇なり。

Uni’s blog 備忘録

クリニックを変えて3

続きです。
新しいクリニックは久々に私にとっての安堵の地となりました。
恐らく前に通院していた時ぶりではないでしょうか?と言っても長く一つのところに通院すると、最近はどう?過食ひどいです。とかそういうお決まりのワンパターン診察で終わる。
正直、私は診察に行って近況を話し、薬をもらって帰るという一連の事柄にもう何の価値も重要性も感じていませんでした。
ただ、クリニックに通院することを辞めて、自分のことを全てさらけ出せることができる人がいないことに気づきました。
私のことを全部知っていて、仲良くしてくれている友達は勿論います。
でも、友達は友達なのです。
私は数少ないそして大切な友達に嫌われるのを恐れています。
全部をさらけ出せるけど、その伝え方、私の話す分量など、同じ時間を共有して楽しかったなと思ってもらいたいという気持ちが無意識で働くのです。

クリニックはクリニックです。
治療者と患者です。
明確な役割分担ができています。
今更という諦めの気持ちと、摂食障害が少しでも良くなるという希望を抱き通院を始めています。

私は、生まれ育った環境を特別だと感じたことはありませんでした。どんな環境にあっても当事者にとってはそれが当たり前の環境なのです。

生まれ育った環境、自分の性格、痩せ願望、何が私をそうさせているのかもわかりません。
鬱なのか、非定型鬱なのか、ただの怠けなのか、全てはわかりません。
ただ、自分の現状や、生まれ育った環境を先生に話しながら自然と涙がこぼれていました。

あぁ、辛かったのだなと。
そこでやっと認識するわけです。

何が何だかわからなくて、明日も明後日もその次の日もきっと憂鬱な気持ちで、自分の生に疑問を持ちながら、過食嘔吐に振り回され(一方で過食嘔吐を精神的な拠り所とし)生きていく。
そんな毎日には正直うんざりです。

週に1.2回というハイペースで通院しています。まずは紐解くことから始めているのです。摂食障害、鬱は早期発見早期治療が鉄則というのを今となってしみじみと感じています。
放置していると泥沼化するばかり。

過ぎた時間は帰ってはきません。
きっと長い治療になると思います。
寛解するのかもわかりません。

治療に向き合うようになってからも、過食嘔吐は連日連夜昼夜問わず続いています。
ただ、全てをさらけ出せる場があるというのはとても恵まれていると思います。

摂食障害は理解されにくい病気です。
低年齢化も進んでいます。
時々、若い子が扶養に入っていて保険証でバレるから病院に行けない。
親に反対されている。というのを目にします。

私は精神科、メンタルクリニック心療内科への偏見が少しでも減ればいいなと感じています。

そんなことを思いつつ、私は明日もクリニックへ行ってまいります、

長々と失礼いたしました。