事実は小説よりも奇なり

事実は小説よりも奇なり。

Uni’s blog 備忘録

病院DAY

Wednesday
病院DAY変えてみた。
土日人多いんよね。
久々に先生と話し長くした。

仕事のとき、やることは沢山あるけど、それでも私はいつでも切られる代替可能な人で、いなくてもいいんだよなー。って思ったらモチベ下がる。
会社に必要ない人っていないんだよ。社長も社員も掃除の人もみんな必要。

お昼の時間に頑張って80gの雑穀おにぎり食べとったら、それだけ?大丈夫?少ないねー。って言われるのめちゃ嫌。
少しは言われたいんでしょう?大丈夫?って。と。

私が痩せよう、痩せたい、太りたくないって思うのはなんでだろう。って考えて、今まで私に攻撃してきた人への仕返しというか見せしめ、当てつけだなって思った。
本当は、その相手にきちんと面と向かって《私はあなたのせいでこんなに苦しんでいる。苦しかった。許せない》っていう恨み辛みを言いたいんだけど、言えなくて、だから痩せ細ることで、こんなに苦しんだんだよ?ねぇわかる?っていうのを暗に伝えている。って言った。
それ、本人にちゃんと言ったら少しは過食嘔吐治ると思うよって。

私もわかってる。
言えないんです。特に親戚とか親とか。
昔の彼氏や、私を傷つけた他人には言えるけど。
しかも痩せた体を見せることすら出来ない。絶対に怒られる。痩せることが美しいということではない。痩せても幸せになれない。きちんと食べなさい。
だから痩せた体で地元に帰るなんて何言われるかわからなくて怖くて出来ない。

そして、私がもし面と向かって、あのときのあなたのこういう発言にとても傷つきました。と伝えたところで、そんなこと言ってない。と突っぱねられることは容易に想像できる。

いい子を演じて過ごした幼少期。
その頃の私は、距離を置くことで更に美化されて、とてもいい娘になっているのだろう。

そして、その美化されて出来上がった私と、本当の私のギャップに親戚や親は驚く。
そして、認めない。
《今のあなたは、あなたらしくない。》
と。

先生曰く、
普段、患者さんの親、親戚にも指導、アドバイスをするそうだ。
私が直接、病院で〜〜と言われたよ、と言うと、親、親戚は自分のことを全否定されたかのように感じるそうだ。

だから、医療者が間に入ることが大切だと。
私の場合は、医療者が入る隙すらないので、距離を置いて、私が傷つけられた過去にいい意味で諦めをつけることが必要だと。

そう、私は親離れできているようで、本当は同意を得て、賛同してもらって行動したいし、同意を得られない場合はとても落ち込むし、消極的かつ悲観的になる。

これしなきゃ怒られるなーとか、したらダメって言われるだろうな。。とか。

30歳にもなってそんなこと思ってるんだから気持ち悪い。

先生も、実際に何歳になっても、親の言うことを聞いて、あれしなさいこれしなさいに常々従っている人は、自分で判断することができなくなって、結構な割合で病んでるよと。
拒食症になる子多いよ。って。

そう、私の中での母は、万能の神化されている。神であり独裁者なのだ。
これは、勝手に私が思ってるだけかもしれないし、本人に確かめたわけじゃない。

怖くて確かめられない。
思い通りに私がならないと嫌なんでしょう?
ママが思ってる私は、実際の私とは全然違う。
私はそんなにいい子じゃない!!

って多分大声で叫びたいんだなと。

叫んで、そうだったのね、ごめんね。っていうディズニー映画のようなハッピーエンドが待っているのか、

はたまたグリム童話のような、恐ろしいバッドエンドが待っているのか。

わからないけど、そこをチャレンジする勇気はない。

私はまだ、ありのままの姿なんて信じられずにいます。


今日の日記、、暗いっっ笑

adiós☆