事実は小説よりも奇なり

事実は小説よりも奇なり。

Uni’s blog 備忘録

夜9時には寝たいっていうのは強迫観念かもしれない

夜は過食しなきゃ、

夜9時には寝なきゃ、→寝過ぎ頭ではわかる。

○○しなきゃ、が私にはかなり多いらしい。

といっても主治医にしかわからないくらい、普段の私はぼんやりしているし、雰囲気はハイボールのCMの吉高由里子だと言われる。

 

この前診察で、私って家庭環境悪かったじゃないですか?って話ししたんだけど、よくよく考えたら言葉に語弊があって、普通の環境じゃなかったってだけで、かなりバランスは悪いけれどいい側面だけ見れば、とても恵まれていたと思う。

祖母は、再婚した祖父が保証人倒れしたおかげでかなり巨額の借金を肩代わりすることになったのだけど、学習塾を経営していて、見栄っ張りでマダムのような気品があって、プライドが高く、謎に私の母の名義で毎年新車を購入していた。

学習塾といっても、英才教育系だったので、グランドピアノもあったし、画集や本の類、辞典、図鑑、絵画の道具、習字、英語の先生もいた。

私は母子家庭の一人っ子で鍵っ子だったので、学校が終わって祖母のところに行くように指示があれば行ってそこで宿題をしたり英語を学んだり、絵を描いたり好きな辞典や画集を読んで過ごした。

家に帰れば母は、夜の仕事もしていたが、絵の仕事が本職だったので、油絵の具や、石膏像、普通の家には無いであろう種類の色鉛筆も沢山あった。

だから、私は自分が貧乏だという現実に長らく気づくことはなかったし、寂しいなと感じることはたまにあったけど、お父さんが欲しいだとか、兄弟が欲しいなんて微塵も感じたことはなかった。

ただ、祖母は何となくみんなのおばあちゃんとは違って、祖母の前に教育者であり、私にも先生と呼ぶように言っていたし、母は母なんだけど、どこかとりとめのない人だった感じはする。今の私以上に学校行事に参加するのは苦手そうだったし、参観に時間通りに来たことはないし、懇談会に参加するなんてことはほぼなかったように思う。

 

私の環境はもっともっと変化していくのだけれど、小学校時代を当たり障りなく書くとこんな感じかなと思う。

 

普通ってわかんないね、