事実は小説よりも奇なり

事実は小説よりも奇なり。

Uni’s blog 備忘録

好きか嫌いかの二択

〇〇のことどう思う?って聞かれた時、
照れ隠しやら、はたまた逆の意味を込めて、
好きか嫌いかの二択で言ったら〜って私言うんだけれど。


私が我が子によく聞かれること。
ねぇママー、私のこと好き?って。
いや、もうこれを聞かれてる時点で私からの愛情に疑問符が付いているんだろうけれど。

合言葉のように、うん大好きだよと答えていたけれど。ここ半年くらいは、は?そんなこと聞かないでよ。と言うこともある。

一生懸命好きよという返事にたどり着こうとして、好きか嫌いかの2択で考えて、好きよって言おうとすることもある。

だけど、、、
好きか嫌いかの二択で頑張っても、我が子なのに正直好きではないのだ。
自分の子供が好きになれないと色んな人に相談してみても、でもちゃんと育ててるじゃないのー、それが好きっていう証拠よ。とか、子育てってそんなものよ、とか。
疲れてるのよとか、みんなそんな風に考えることあるある。
っていう、全くもって解決策にならないような回答を得る。

もっと言えば、我が子の存在が私が生きなければならない理由にはなるけれど、生きたい理由にはならないというか。

子供の成人式の姿を見るまでは絶対に生きたい!とかそういうことは全く思えないのだ。

成人するまでにかかる費用は恐らく私の生命保険で賄えるし、私は高齢出産でもないので親戚の誰かがどうにかしてくれるんじゃないかと。

とにかく、お金を用立てたら私は遁世しようが何しようがいい気がしてならない。

毒親なんていう言葉が一時期出回ったけれど、私の毒親指数はかなり高いし、今後我が子に与える悪影響は否定できない。

正直私が子供だったら私のような母親とは生活を共にしたくはない。

芦田愛菜ちゃんが主演だった明日ママがいないをふと思い出す。
大きくなればなるほど里親、養子縁組の需要は減るんだよなと。

私は私で今日より若い日はない。と無駄に焦って性を生業としているけれど、我が子だって今日より若い日はないし、里子としての商品価値は下がっていくのよね。と思ってしまう。

とりあえず私と我が子の関係性は、私の主観ではかなり破綻していて、バッドエンドに向かっている気がしてならない。

じゃあなぜ産んだのか。
自然の流れだと思っていたから。
無知だったから。
計画性がなかったから。

子供を産まない選択をする女性はある意味賢いとも思う。
産まないでする後悔と、産んでする後悔はかなり違うとは思うけれど。

4歳になろうとする我が子をみても、どうしても産んで良かったって思えない罪悪感から逃れたい。