事実は小説よりも奇なり

事実は小説よりも奇なり。

Uni’s blog 備忘録

1番楽に死ぬ方法とは。

昨日は昼寝から起きたらありえない腰の痛みで、なに?片方だけギックリ腰とかあるん?といらいらしてました。

眠剤と安定剤をダブルぶっ込みで寝返りミスったのか。

夜は案の定眠れなくて朝の四時まで死にたい死にたいと死ぬ方法をずっと検索したり考えたりしてました。

私の祖母は1人は要介護で入院してて、片方は私も驚くほどのアクティブさで日本の名峰に登っています。

母は統合失調症で入院中、離婚してる父は新たなマーケットを求めて東京にやってきて自営。

(うまくいってないらしい)私は抑鬱状態、てんかんと日々の過食嘔吐で派遣OLを時短でなんとか週5やり、養育費なしのワンオペ育児に翻弄し、行政の助けを借りてなんとか生きているそんな感じ。週一の通院も欠かせない。

生きてる意味わからんくなるときそんなのもう数えられない。土日は子供いるのに生きる屍状態で、ただの家事マシンのようだし、我が子はこれで幸せなのか?なんて疑問は日々湧いてくるし。

こういうの全てが希死念慮に繋がったのかなと。今回は初めてというくらい細かく考えて、あ、子供1人残すのはかわいそう?だとしたら、無理心中になるよね。寝息をたてる我が子の横で、私この子を殺めれる?刺す?無理。首絞める?無理。絶対無理だ。。

例えばそこのラインはクリアしたとして、私は?首吊り。でも、なるべく早期発見してほしいから、子供を殺しましたって警察に電話した瞬間に首吊って、微妙なタイミングで助けられて後遺症が残って、子供は失くして。って最悪だし。

じゃあ、子供は生き残るっていう道を選んだとして、私の死体は見せたくないから、人身事故?日に3件くらいは起こってるらしいけど損害賠償すごいらしい。

今のうちの状態で誰が払うんだろう。

そんなこと考えながら、結局今日も仕事に行った。ホームで電車待ってて、え、もし飛び込むとしたらどのタイミング?変に速すぎたらブレーキかけられて私生き残るやん?ぜんぜんわからん。

って思ってるうちにだんだんと死ぬことは生きることより大変なのかもしれないと思ったわけです。

 

自分の死ぬことを考えていて、その中で我が子のことをたくさん考えて、何度も何度もなんで産んだんだろうとかなんで離婚しちゃったんだろとか、私が不甲斐ないからだとか色んなこと思いながら育ててきたけど、そんな中でも、やっぱりこの子には生きてほしいなという気持ちでいっぱいになったから不思議でした。

 

人並みにはなれないかもしれないけど、ちゃんとママになろうって思った。