通勤が辛い
別に行ってしまえばいい。
というかオフィスに入りさえすればそこはどこなのかなんて曖昧になる。
私の職場の近くにはギャラリーがたくさんあって、私が離婚した時地元に帰ろうかなと少し悩んだ時に、画家兼絵画講師をしていた母が、
私は人前に出るのは苦手だけど、絵はたくさんの人に見てもらうのが幸せだから、いつか東京で個展を開くためにも、私は東京に残っておいて。なんて笑って言っていた。
まさかあの会話から3年後に母が統合失調症の診断を受けて、精神病院の閉鎖病棟に入院することになるとは露とも知らず。
私が通勤が苦しいのは、そのギャラリーたちを横目にオフィスまで駅から歩く瞬間だ。
特に統合失調症として知られている現役の画家さんの個展や、母と親交のあった方の個展が開かれているときはとても辛かった。
母が入院するとなったとき、アトリエ兼自宅として借りていた古い一軒家を出ることになり、その際ほとんどの絵は親戚の手によって不用品処理された。
トランクルームを借りることや、色んな美術館に寄贈すること、母の母校の校長先生に連絡をとるなど、思いつく限りの手を使ったが、私の非力さで、結局絵は廃棄処分されたのだ。
私はそのときは泣いて泣いて、泣いてばかりいて、やっとのことで時間が解決してくれたのか、傷心も癒えたなぁと、また母がいつか筆をとる日がくるといいなと思えるまでには回復したつもりだった。
けれど、まだギャラリーを通り過ぎることはとても辛くて、東京にいる意味もよくわからなくなり、昔は母とギャラリーめぐりや美術館行くのが大好きだったのにどうしても足が遠のいてしまう。
キラキラしたもの、美しいもの、そういったものをなんとなく避けてしまっているのはこんな経緯があるからかもしれない。
昔は本当に繁華街も、ブランド物の路面店が立ち並ぶ街並みも大好きだったのに。
いつかまた心から綺麗。とか美しいとか、楽しい!って思える日が来ると信じて。